俺と世界は非常に相性が悪い。

俺が産まれて初めて知ったの賛美と諦め。

次に知ったのは冷たい鉄の感触。
浴びる罵倒は本当の事ばかりで文句も言えない。

聞きたくない声はたくさん聞こえた。
見たくないものも自ずと見えてきた。

世界は何処かベールが掛かっていて俺を見たくないのか、世界が隠れているのか、或いは両方か…。

そんなの神様でも分からない。


少年は産まれた時から人の言葉を理解した。
それを、皆賢いと喜んだ。
しかし、少年は産まれた時から目ならぬ目でその先を見ていた。
それを、皆代償だと嘆いた。






「もうすぐ嵐が来る」

緑の庭園で少年がポツリと呟いた。
それをたまたま耳にした通りすがりのメイドが、え?と首をかしげる。

「坊ちゃん、今日はとってもいい天気ですよ?」

少年は何処を見ることも出来ぬ眼で空中を見ながらもう一度「嵐が来る。戸を閉めて風を塞がないと全部飛んでいくぞ。」
メイドは少年の言葉をいぶかしみながらも、当主の嫡男である少年の気に触れまいと「畏まりました、ではすぐに」と戸を閉めてかかった。

その夜、昼の晴天は嘘のように嵐が来、誰も寝る事は出来なかったという。


 その少年が犬を拾ってきた。
誰もがそれを止めた、「家にはもう犬がいるのだから」と
だが少年は「そいつはもうすぐ死んでしまう。こいつを変りにしてもいいだろう?こいつは立派になるぞ?」

その時ふと一人の使用人の男が不思議に思った。まだ邸から出る事を許されていない子がどこで犬を拾ってきたのか…。
しかし誰もその事には触れずに「あんなに元気ではないですか、あまり不吉な事を言ってると罰が当たりますよ?」と少年の母までもが必死に説得している。
それでも、少年は確固として譲りはしなかった。
「あの犬はもう死ぬからこいつを飼う」のだと。
仕方なしに犬の一匹や二匹増えた処で、と犬は飼うのことになったが、男は不思議でたまらず、少年の周りから人が居なくなるとこっそりと尋ねた。

「どこで拾ってきたのですか?」

男の問いに少年は不思議そうな顔をして「邸の外から声がしたからそこに行っただけだ」と答えた。
男は呆れ、そして納得した。
邸の近くに捨てられてたのだろうと、犬の鳴き声につられて其処まで行ったのだろうと、
しかし、その邸は其処の地帯の当主の邸。
邸内に犬を捨てるような不当な輩はいるとは思えない。
邸外にいる犬の声を少年に聴こえたとは思えないのだ。
はっとした男はその事を問おうと再び少年の方を向くが、少年は既に寝室に戻ったのか其処に姿はなかった。


一週間後、前から飼っていた犬は散歩の途中車に跳ねられて死んだという。


 少年が七歳の時に少年の弟が家に来た。
当主が外で作ってきた子供だ。
弟の母親が病で倒れ、死んだからという在り来たりな理由で同い年の弟が少年に出来た。
それでも母親を含め皆安緒した。弟には何の障害もなく。また、変った異能も見られない至って普通の子供だったからだ。

少年の突発的な発言や、行動に邸のものも耐えられなくなっていたのだ。
当たるはすのない予言が当たり。
目の見えない筈の少年の活発な行動。
皆恐怖した。
畏怖と畏敬の念で少年に接した。
それは、少年を産んだ母も同じだった。
それは、傍には居てくれなかった父も同じだった。

 少年は弟とすれ違いで薄暗い、地下に閉じ込められた。

 少年は恨んだ。
家にやってきた、弟を。
しかし、本当に皆から恨まれているのは自分だと分かっていた。
だから、何も言わず地下に閉じ込められる事を良しとした。

鉄格子が締まる冷たい音が響いた時、同時に『やはりあいつも化け物だったか』父の声が聞こえた気がした。


 少年が薄暗い地下牢に閉じ込められてから、幾月と年は流れた。

初めは数えた。
いつか出れるかも知れないと、閉じ込められてからの数字が三桁を超えた時少年は諦めた。
自分の終わりは此処なのだと。
日に一度の飯。
一週間に一度の水浴び。
数ヶ月に一度あるかないかの母との面会。

自分は此処で飼い殺されるのだと分かっていた。

時折みせる母の顔がそう語っていた。

しかし、受け入れるのは難しかった。
六年間の甘い月日をそう簡単に忘れる事は出来なかったからだ。

恨めしかった。
今まさに自分が受けるはずの恩恵を受けている奴が要ると考えると。
悔しかった。
目が見えないだけならまだいい。こんな力など欲しくはなかった…。
嘆いた処でどうしようもないのは分かっていたが、誰かを恨まずして何も無い日々を生きていく事は少年にとって不可能に近かった。
恨む対象は弟しか考えられなかった。

返しせ

返しせ

俺の居場所を返しせ


少年は叫びだしたい衝動を必死に堪えた。


その衝動を誰かかが捉えた。


自分に似た身体の感覚

しかし何処となく違和感の感じる身体だ。

自分がいるところは以前使っていた寝室。




どうなってる?否、そんなの今は関係ない。地下に行って自分の身体を解放しよう。逃げるんだ。




そう思った。




だが、ふと見た鏡に移ったその姿に驚愕した。

余りに自分にそっくりで、しかし栄養ある三食きちんととっているような細見ではあるが健康な身体。
自分より色は薄いが父と譲りの朱色の髪。緑の瞳
それは一度も顔を合わせた事のない弟のものだと分かった。

『誰?』
頭の中から声がしたことに驚きいっきに意識は自分の身体に戻ってしまった。 しかし、あの頭から響いた声からは純粋な心を感じ取った。
少し高い声は女とも男とも判断できなかったが自分と同じ年代の者だと分かった。
或いは弟のものだったのかもしれない。

また意識を深く、強く、さっきの感覚をなぞりながらさっきの声の主へと向けてみた。
すると意外にもあっさり捕らえられてしまった。
声をかけるか、かけまいかを悩んでるとまた『誰?』と声がした。
どうしようか悩んでいると、その気配を感じたのか身体の主はそれに驚きながらも少年に声をかけた。

「なぁお前誰だ?」

「どうして俺の頭ン中でモヤモヤしてんだ?」

「どうやって俺の頭ン中に入ったんだ?」

「って、俺独り語といって傍からみたら恥ずかしい奴だよな…」

一人で喋ってる、こいつが少年の憎んだ弟なんだと分かったが思っていたのとは少し違った。
どう違うのかとは上手くいえないが、もっと素直に憎める奴だったならと心の隅で思った。
「あ、あのさ俺は、『えっと、その俺のなまえは』

『言わなくて良い』

少年は知っている。嫌でも知っている。
色んな人が名前を呼んでるのを、こんなにも深い地下まで聴こえてくるのだから。

『あ、思っただけで伝わるのか、よかった!っと、そうなの?じゃあお前のなまえは?』

名前?坊ちゃん?否、もう違う跡取り様?鼻で笑う。
母様は俺をなんと呼んでいた?
父様は俺をなんと呼んでいた?
『当主になるのだから』
『跡取りでしょ?』
『坊ちゃま』

名前名前名前名前な ま え?

『…ない』


少年は気付いた、自分に名などなかった事を。

そうか、甘い月日なんて僕の妄想だ。
あったのは厳しい教育 茶道 武道
あぁ、やっと、見切りが付けそうだ。



 それから弟は少年が動けない場所にいると知ると、自分から身体を貸すといいだした。
ずっとは無理だが、出来るだけ外の世界みたいだろ?と笑いながら。
施しなど受けたくないと拒めば、自分から意識を繋げられるようにした。
それにも無視してを決め込む少年に『特訓したのに…』としょぼくれて見せたが懲りずに話しかけていた。

恨んでいた相手が何を話そうと、何を思おうと関係なかった。
弟は意趣変えだと少年の意識を更に自分の深くに持っていき視覚を同調させた。

「名前、わかんないけどきれいだろ?」

見えはしないが弟が笑っているのが分かった。
花は桜だ。淡いピンクが主張して直ぐに分かった。

だからなんだ。

と思考を巡らせると木になにか書き始めた『ルーク』。
と思うと弟はそこに自分の名を書き始めた。

「お前にやる」

木のことか?と思った。 しかし弟はその隣の木に『ナナシ』と書いた。

「これ、俺のな」

意味が分からず『どういうことだ』と問えば弟はそれを酷く喜んだ。
初めて話してくれた、と。

弟は言った。

『俺、本邸に来るまで名前なかたったんだ。邸内にある別邸にいたときの俺はナナシだった。だから今更『ルーク』って名前もらってもしみこまないって言うかさ、 邸のみんなが『ルーク様がこんな事も出来ないなんて』って言うの聞くと、 お前なら出来るんだろうなって勝手に思って。お前のが『ルーク』って名前似合うと思うんだ』

そこまで言うと勝手に納得したように『うん、お前が『ルーク』だ』なんて言い切った。

俺は俺の全てを奪った奴に、全てを与えられた。そんな感じがした。

弟は嬉しそうに『あ!お前今笑っただろ?」と尋ねた。
少年はそれに対して、「あぁ」とだけ答えた。

鉄の牢獄が花の記憶で満ちる頃、自分が恨みの対象としている者だけが、自分を人間として接してくれる唯一の存在だと知り、虚しくも、愛おしくも感じるようになっていた。

だから自分から声をかけた、『『ルーク』はお前だ。俺は、お前の燃えカス『アッシュ』でいい。』
弟、否、ルークは名前の意味を知らないのか不思議そうな顔をしたが、『アッシュって響きかっこよくてお前にぴったりだと』傍から聞けば皮肉にもなりえる事を臆面もなく満面の笑みで言い切った。

アッシュはそんなルークに苦笑を浮かべながらも『あぁ』と応えた。